【齋藤 薫の老けない人。老けない話。】Vol.41~Vol.45

2020.09.09

【齋藤 薫の老けない人。老けない話。】Vol.41~Vol.45

Vol.45 久しぶりの再会の時こそ、あなたの美しさの是非が試される時である。

久しぶりに人と会う……それは大人の女性にとって実は極めて大切な瞬間。その人が本当に美しいかどうか、本当に若々しいかどうか、改めて評価が下るからである。

そしてこのコロナ禍で、一年近く中止になっていたお茶会やランチの会が、少しずつ再開の時を迎え、久しぶりに友人達と会う、そういうタイミングなのかもしれない。

人のイメージは、会うたびに“更新”される。前会った時は美しかったのに、今度会った時は何だかやつれていたとしたら、その人はあっさり“やつれたイメージ”に切り替わってしまう。人のイメージは一瞬で、いとも簡単に塗り変わってしまうのだ。

だからこそ再会の時が大事。ましてや長い自粛生活において、人とあまり会わなかったことで、緊張感や気持ちの高揚感が生まれずに細胞活性が緩んだ結果、知らず知らず衰えが進んでしまっているケースもなくはない。つまり見た目印象が変わっていることに気づかないまま、人と再会してしまうことが少なくないのだ。

皮肉なことに、そうした見た目の変化に一番敏感に気づいてしまうのは、“久しぶりに会う知人”。自分自身でも、また家族でもないのだ。実際、痩せたり太ったりした事も、家族には指摘されなかったりするもの。毎日顔を合わせている家族には、そうした変化を悟られないものなのだ。見た目の変化は毎日少しずつ少しずつ進んでいき、ほんの少しずつ更新されていくから、毎日見続けている目ほど、比較ができず、変化に気づかないのである。むしろ久しぶりの知人の方が、何ヶ月か前に会ったときのイメージを記憶したまま、いきなり今回の見た目と比較するから、ビフォーアフターの写真のように違いが強調されて見えている。だからわずか2キロ体重が減っただけでも、「痩せたね」と指摘されることが多くなる。いや逆に言うなら、2キロ太っただけで口には出さずとも「彼女は太った」と認識されてしまうからこそ、久しぶりの知人の目が1番怖いのである。

では久しぶりの再会ではどうするか。とにもかくにも、最上級の美しい自分を作って出かけるのはもちろんだけれど、もっと大切なのは生命感を煌かせることかもしれない。明るく生き生きした自分を見せること、それが何より重要なのだ。なぜならば、人は“会わなかった時間のこと”を大げさに推測したがる生き物。再会した相手が以前よりわずかに元気がなかっただけで、一体何があったのだろう、良くないことがあったのではないだろうかと、勝手に推測してしまう。その不幸感が決定的なイメージダウンにつながってしまうからである。ただそれはお互い様で、あなたも相手に対しきっとそういう見方をするはず。だから何をおいても、華やいだ表情と幸せそうな印象を持って出かけたいのだ。

それだけでも、老けたね、やつれたね、とは思われない。なるべく明るい色の服を着て、にこやかに口角を上げて目をキラキラさせながら再会する。すると彼女は元気そう幸せそうと思われる。それが大人の女の再会の掟。

加えて言えば、意識して朗らかに再会の日をスタートさせれば、その日ずっと明るく優しい表情でいられる。深い理由なく、何割か暗い表情を持ち込んでしまうと、その暗さが1日中ずっと顔立ちについて回る。急に上機嫌にはなれなかったりする。だから意識して、にこやかに。「あなたと久しぶりに会えたことが本当に嬉しい」そう思えば、自ずと華やいだ表情になるはずだ。それもまた久しぶりの再会で、 さらに好感度を高める大切な掟である。


Vol.44 60代からのカリスマデビュー

自分のファッションを紹介するブログにおいて、いま若者を中心に50万人以上のフォロワーをもつ、65歳の女性がいる。ニューヨークのファーダム大学の臨床准教授、リン・スレーターさん。数年前、あのユニクロもこの人をモデルとして起用、ヴァレンティノなどのファッションブランドもキャンペーンミューズとしてこの人を選んだ。

 

お洒落好きが高じて、ファッション工科大学のコースを受講した際、周りの若者たちの間で、その素晴らしいファッションセンスが評判となり、60代に入ってからファッション・ブロガーとして注目を浴びるようになるのだ。YOHJI YAMAMOTOの服にシャネルのバッグを合わせて街を闊歩する姿をたまたま目撃したカメラマンに撮られて、その写真が大きく取り上げられるくらい、実際目立つ存在でもあるのだ。

 

彼女はあるインタビューに答え、「50代で、自分はクリエイティブな人間であることに気づき、60代で、夢を追うのに遅いということは決してないことを実感した」と語っている。そんなふうに今60代になってから、オシャレや美しさで世界の表舞台にデビューする女性が増えているのだ。

 

メイ・マスクという女性を知っているだろうか? 今、72歳。アメリカでは知らない人がいないほどの女性である。とは言え、セレブに躍り出たのは、70代を目前にスーパーモデルとなってから。それこそ60代後半になってからスワロフスキーなどの様々なブランドに起用され、若い人までが使うメイクブランドのメイクのミューズとなった事でにわかに注目を浴びた人。そんなことってありうるの?と驚くかもしれない。でも今まさにそういう時代なのだ。

 

昔からモデルはやっていたものの、通販系のチラシなどを中心に活動する名もなきモデルの一人だった。離婚後ストレスで90キロまで太ってしまった時期は、いわゆるぽっちゃり系のカテゴリー “オーバーサイズモデル”として活動することもあったとされる。

 

それが年齢を重ねて誰もが知るスーパーモデルとなるのは、60代後半で白髪を染めるのをやめたこと。日本でも、グレイヘアーを選択したことでオーバー60の女性たちがにわかに時の人となることがひとつの社会現象となっているが、アメリカでも同じことが起こっていたのだ。

 

それだけじゃない、この人は自動運転のテスラ社のCEOにして宇宙開発の第一人者、イーロン・マスクの実の母親であることで、更なる注目を浴びている。イーロン・マスクといえば、ジョニー・デップと離婚訴訟中のアンバー・ハードと浮名を流すなど、IT長者にとどまらないスーパーセレブぶりも話題となった人。スティーブ・ジョブスを超える天才である上に、莫大な資産の持ち主として有名だが、この偉大な息子をはじめ、いずれも成功を遂げている3人の子供を、 貧しい暮らしの中でも立派に育てあげるために細々とモデルをやり続けてきた人なのだ。つまりモデルはあくまでも生活のため、栄養士としての資格も取っているが、まさに苦労に苦労を重ねて、 代 代になって一気に花開くという奇跡のような人生を見せてくれた人なのだ。

 

でもそれは奇跡ではない、世の中がこうした年齢のカリスマを本気で求めている結果なのである。年齢を重ねて、白髪が目立っても、シワに見舞われても、それが100%尊い歴史の結晶のように見える女性がどんどん増えていて、また若い人までが彼女たちを評価するような時代になっているのだ。このコロナ禍で、“価値観が180度変わる”とされるものは、そういう意味でもあるのだろう。美しさの基準が具体的に変わろうとしているのは事実なのである。

60代からのカリスマデビューが、5年後、いや3年後、少しも珍しいことではなくなるのかもしれない。だから、あなたもむしろこれから!


Vol.43 大人の女性として生きるために

マナーが逆転してしまった時代も、美しい大人として生きるために・・・。

コロナの問題がここまで深刻になると思っていなかった頃、マスクにまつわる是非が議論の的になった。それは店のスタッフがマスクをつけて接客をしてもいいかどうかという議論・・・。

確かにその頃は、マスクをつけたままの接客がマナー違反なのではないか、失礼にあたるのではないか、という見方が一般的だった。とりわけ百貨店などの、一定以上のサービスを強いられる場所でのスタッフのマスク着用は、表情が見えなくて怖いなどと言うクレームの対象になったりしたほど。

実際にその頃、銀座通りにある超高級ジュエラーで、スタッフ全員がマスクをしていたのを見て、やはりちょっと怖かった。

つまり、ほんの数カ月前まではマスクをすることの意味が今とは明らかに違っていたのだ。当時は旅行者等に陽性者の可能性があるかもしれないと言う理由で、もっぱら感染予防のためのマスク着用だった。

でも今は皆、全く逆の理由でマスクをつけなければいけなくなった。相手に不安を与えないため、むしろマナーのためのマスクになったのだ。

一方で、いわゆるソーシャルディスタンスも、今まであり得なかった新しいマナーを生んだ。ある行列に並んでいて、後ろが詰まっていたために少し前に詰めたら、前の人に睨まれた。前の人に謝りながら、後ろの人に、申し訳ないもう少し後ろに行けますか?とお願いするしかなかった。人との距離感にも、運動神経のような新しいセンスが必要だということ。それもまた、数カ月前には考えてもみなかった新しいマナーである。

ともかくこんな短い間に、マナーの解釈が逆転したり、全く新しいマナーが生まれてしまうなんて、それ自体が異常なこと。しかしこれが現実で、政府から提案された新しい生活様式など、少し前までありえなかったことだらけ。一般常識では到底理解できないものへと変化している。そういう新しい時代を生きなければいけないのだということを意識し、改めて気遣いのある大人になろうという自覚を持つべきなのかもしれない。

しばらくはマスクを外せない日々、美しさの定義も少し変わるのかもしれない。口元を隠すと、はっきり言って個性が消える。表情がほとんど伝わらない。しかもハグはもちろん、握手だって相手に近づくことだってできない今、そんな中でも相手に好意や優しさ、親しみを伝えたいわけで、やはり大切なのは言葉。今まで以上に言葉で想いを伝えたい。優しい言葉をかけたり、ありがとうの数を増やしたり、こんにちは、さようなら、ごきげんよう。そういう当たり前の挨拶の数を増やすこと。そして、お元気ですか?大丈夫?気をつけて。お大事に。そういう気遣いの数を増やすこと。

「食事の時もおしゃべりは最低限に、食べることに集中する?」そんな新たなルールにめげることなく、意識して一つ一つの言葉を大切に、相手に対し想いをより丁寧に伝えるよう心がけるうちに、新しい人間関係において、魅力ある自分を作っていくことができると思うのだ。そうした変化に、しなやかに寄り添っていくこと。自らのひらめきで新しいマナーを作って、自分自身に課していくこと。今はともかくそれが新しい美しさの作り方である。


Vol.42 60代でまだ恋愛ができるかどうか?

例えば60代でまだ恋愛ができるかどうか、異性の目を意識できるかどうか、それが新しい若さの基準!10年前までは、”年齢不詳であること”こそ、私たちが目指す若さであった気がする。言い換えれば一体この人は何歳なのか、従来の見た目年齢に当てはまらない印象を持つことがテーマだった。

それがいつの間にか、自分の年齢を堂々と口にするような、自信に満ちた若さを持つ人が増えていた。こう見えても、私はもう58歳! そう言って周囲を驚かせるような、言うならばサプライズ的な若さを持つ人が。またその、サプライズな年齢そのものが、言わばどんどん高齢化、こう見えて私は65歳、私は73歳・・・ そういうふうに年齢を重ねるほどに、むしろ自分の若さに、自信を増やしていくような人が増えていったのだ。

でも逆に言えばそんなふうに、年齢に対する意識は時代とともにどんどん変わっていく。実年齢のその数字で、相手を驚かせるような若さに対しても、世間は早くも慣れてしまいつつある。

つまり、一見60代前半にしか見えないような人が、私はもう73歳!そう言っても、もうそれほど驚かれないくらい、見た目年齢の若い人が増えてきてしまったと言うこと。もはや若さに対しての感覚が、麻痺していると言わざるを得ないのだ。

それは、年齢などもう本当に意味のないものになってしまったことを意味するのかもしれない。欧米人は、以前から年齢など気にしない、自ら言うこともないし、聞かれることもない、年齢など”どうでも良いもの”という考え方が主流だったが、日本の年齢観もいよいよその境地まで到達したということかもしれないのだ。

一方で、もうそろそろ次なる若さの基準が欲しくなってきた。何を持って若いと言うのか、その新しい目安が必要になってきたのだ。

そんな折も折、ある小さなニュースが目を引いた。 女優のシャロン・ストーンが、いわゆる「マッチング・アプリ」に登録したと言う・・・ マッチング・アプリとは、出会いを求める男女を結びつけるアプリのことで、趣味や職業、年収なども明らかにして相性のいい相手と出会えるようにコントロールされているため、実際に結婚する人が急増しているという世界的なサービス。かつての出会い系サイトと異なり、科学的な根拠によって相性を割り出す本気モードのものもあり、安全性も高いと言われる。とは言え、あの大女優が実名登録したと言うので、ちょっとした物議をかもしたという訳。

この人は現在62歳。年齢などもう関係がないと言いながら、こだわってしまうようだが、60代でも堂々と出会いを求め、本気で結婚しようと思っている証。何か勇気づけられるニュースである。

だからこれからの時代、まだ恋愛ができるかどうか、それが何か新しい若さの目安であるかもしれないと思うようになったのだ。実際に、自分の若さや美しさに自信を持てた時、異性の目をちゃんと意識するかどうか、それは大きな分かれ道。同性の目は気にしても、異性の目は気にしなくなって久しいと言う人が少なくないのかもしれない。でもだから改めて異性を意識した時、きっと自分の中で何かが変わるのに気づくのだろう。ひょっとしたらこれからも恋をするかもしれないと言う気持ちが、女性の本当の美しさを開花させるのは間違いがないから。

既婚者は既婚者で、もう一度夫に惚れ直させると言うテーマを持っても良い。いずれにしても、異性を意識した美しさの方が、健全でピュア、見る人により強く訴えかけることは間違いないのだ。

だから、もう一度恋ができる若さへ。そう意識するだけでいい。あなたの中で何かが変わる。


Vol.41 ”祈ること”も1つの美容

心の中にパワースポットを持って生きるのも美容。

令和天皇の即位にまつわる数々の行事が終わった。一連の儀式を見て、様々な場面で何となくでも涙した人は少なかったと思う。雅子皇后が時折見せる涙を見て、あるいは雅子様の輝くばかりの笑顔を見て、これまで多くの重圧によって、長い間苦労されたことを誰もが知っているからこそ、こみ上げてくるものがあったはずなのだ。

また、パレードも直接見に行った人には、新しい時代を切り開く天皇皇后両陛下が目の前にいると思っただけで自然に涙が溢れ出たと証言した人が少なくなかった。

そしてまた、各国要人を招いて行われた最も厳かな即位の儀に、あの完全なる静寂の中、天皇陛下が高御座に昇り、内外に即位を宣言する直前に、それまで激しく降っていた雨が一瞬にして上り、大きな大きな虹が東京にかかったこと、知っていただろうか。まさにあの時、ある種の奇跡を感じて、自然に涙が出てきたと言う人もいたと言う。

これらは特別な涙。ちょっと説明のつかないものといってもいのだろう。日本人としての霊的な涙だと言うべきなのかもしれない。日ごろ、キャサリン妃のファッションや、メーガン妃へのバッシングばかり追いかけて、日本の皇室には距離を感じていた人も、一連の儀式によって何かが目覚めた気がしたかもしれないのだ。おそらくそれは”祈りの力”を信じるスピリチュアルな心・・・。

現在の上皇后、美智子様が「私は国民の祈りでありたい」と語られたのは有名な話だけれど、日本の天皇は”平和を祈ること”こそ、自分たちの最も大きな役割と考えていると言われる。そういう存在なのを感じているから、即位において自然に涙が出るのではないか?

自分はスピリチュアルなことに全く関心は無いと言う人も、ぜひ聞いてほしい。初詣に行ったり、門松を飾ったり、お月見したり、節句などの年中行事を何らかの形で行う人には、やっぱりスピリチュアルな心が宿っていると考えるべき。きっと誰の心にもかすかにそういうものは宿っているはずなのだ。

身近なものに神が宿ると考えるのが日本の神道。つまり太陽や月、海や山、植物や動物など、目にすることができるあらゆるものに神聖な存在を認めて敬うということを、私たちは知らず知らず習慣としてきた。だからこそパワースポットのようなところに心惹かれたり、パワーストーンを身に付けたりするのだろう。神社やお寺で、当たり前のように手を合わせるのも同じ。祈ることこそが、自分たちにとってのスピリチュアルと言えるはずなのだ。

そして今こそ、そういうことをちゃんと心で感じ、大切にするような生き方が求められている気がする。令和という新しい時代を迎えて、なんだか背筋がぴんと伸びること、居住まいを正せること、それもまた日本的なスピリチュアル。今まさにそういう風に心を整え、生きる上での意識を新たにすることによって、心と体を浄化するのが、すなわちスピリチュアルの効用なのではないかと思う。それもまた私たち日本人にとっては、1つの美容であり、アンチエイジング。日本の美徳を取り戻そうとする動きがある今、まずは身の回りにある物を大切に考えることから始めたい。自然や人や物を敬うことから・・・。

  • 齋藤薫 / saito kaoru

    美容ジャーナリスト。
    女性誌編集者を経て独立。 女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人 日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『されど“男”は愛おしい』(講談社)他、『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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