【齋藤 薫の老けない人。老けない話。】Vol.52 歳を重ねるほどに、整えていかなければいけないものがある。それが、お辞儀。

2023.09.14

【齋藤 薫の老けない人。老けない話。】Vol.52 歳を重ねるほどに、整えていかなければいけないものがある。それが、お辞儀。

身のこなしが美しい人が、美しい・・・改めてそう感じるのは、なぜかいつも悲しみの席だったりする。

例えば、世界中が見たエリザベス女王逝去に伴う一連の報道にも、ハッとさせられる場面が多かった。

それはおそらく、所作に心が写し出されるシーンだから。

喪に服する場面では、忙しい動きなどなく、誰もが静かに厳かに振る舞い、一つ一つの動きが慎重に丁寧になるからこそ、逆に心が見えてくる。

もっと言えば思いがこもっているのか、いないのか、そこまでが見えるような気がするからなのだ

エリザベス女王の棺を前に、ロイヤルファミリーの女性たちがカーテシーというお辞儀をする場面が度々見られた。

これは、ヨーロッパの伝統的な挨拶で、目上の相手に対し、女性が行う礼法。バレエの舞台などでもよく見られるお辞儀だが、背筋は伸ばしたまま、片足を斜め後ろに引き、両膝を軽く曲げ、場合によっては両手でスカートの裾を軽く持ち上げる。

いわゆる〝ひざまずく〟動作をコンパクトにしたものと考えてもいい。

だから今はロイヤルにおける挨拶が中心で一般的には見られないが、それだけに思いのこもった美しいカーテシーには目を奪われたもの。

例えば女王の長女アン王女は、葬送の行進をした後、女王の棺と離れる際に、控えめに、しかし思いのこもったカーテシーをして国民の賞賛を浴びている。

母親を心から尊敬していたといわれる娘の敬意と愛情がしみじみと伝わってきたからだ。

一方で今、何をしても物議を醸すメーガン妃のカーテシーは、明らかに誰よりも深く腰を落とすものだったために、やりすぎとか、前傾姿勢になるのは美しくないとか、目立ちたがりといったネガティブ意見も多く聞かれてしまうのだが、それも王室離脱した立場として、女王にどのようなお別れの挨拶をするのか、その心模様を誰もが固唾を飲んで見守っていたからに違いない。

所作って、本当に難しい。綺麗に見せようと意識するほどに、何かあざとい印象になってしまうから。 立派に見せようと意識するほどに、自己主張に見えてしまうから。 どちらにせよ仕草は完全に身に付いていないと、魅力として人の目に映らないのである。

だから改めて思ったのは、私たちにとってのお辞儀の大切さ。 いや日本人のお辞儀こそ、精神性や知性や人間性が問われる最も重要な身のこなし方、そう言えないだろうか。

もっと言うならば、大人の美しさを象徴するものの一つが、このお辞儀。 私たちは年齢を重ねることにより失っていくものばかりだと思いがち、でも〝年齢を重ねるほどに美しくをより増やしていかなければいけないもの〟が決定的にある事を忘れてはいけないのだ。

美しいお辞儀のコツは、ちゃんと立ち止まって、心臓をまっすぐ相手に向けること、そして背筋を伸ばして、頭を下げる時は素早く、あげる時はゆっくりと。

ただこれも、意識しすぎると営業用のお辞儀のように見えて心が伝わらない。

ただ、慌てたようにペコペコしたり、歩きながら体を斜めに向けたままとか、気づかぬうちにそういう癖がついていることが少なくないからこそ、一度自分のお辞儀を客観的に見つめ直すべき。

オフィシャルな場面であっても、ただ深々と正式すぎるお辞儀をするよりも、例えば胸元に手を当てて相手の目をまっすぐ見ながらお辞儀をする、そういう方がむしろ心が伝わるもの。

どちらにせよお辞儀より相手に集中することが大切なのだ。それも一つのアンチエイジングと考えて。美しく歳を重ねる鍵なのだから。

  • 齋藤薫 / saito kaoru

    美容ジャーナリスト。
    女性誌編集者を経て独立。 女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人 日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『されど“男”は愛おしい』(講談社)他、『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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