
【斎藤薫の美容コラム】Vol.16~Vol.20
Vol.20 人は、ただ表情の魔法だけで、 つまり一瞬で、10歳、20歳若返る!!
人は世界中でいちばん、“自分自身のこと”を知らない……そういう格言がある。
まさにそう。 自分は自分を見られない。
もちろん、この格言はむしろ精神的な面で、“真の客観性を持たない限り、人は自分のことを知らずじまい”、という意味だけど、自分の姿形のこと、自分がいちばん知らないのも、また確かなのである。
特に知らないのは、後ろ姿と歩き方、そして顔のさまざまな表情……。 後ろ姿は、それこそフィッティングルームにあるような三面の鏡でないと見られないし、自分が人と会話する時の顔の表情も、電話の時に、鏡に向かって話す以外ない。
それこそあなたは、会話する自分を鏡を映して見たことがあるだろうか。 多くの人はその自分に衝撃を受けるはず。 こんな顔で人と話しているの?と。
ふだん鏡にうつすのは、すべて自分の好きな顔で、他者に向けている顔とは違う。 だからまずは、知らない顔を自分の目でしっかりと見ること。 それだけでも、話す時の表情のクセが正されたり、下向きの口角が上に向いたり、かなりの修正がなされるはず。
でもそれは、あなたのいちばん美しい顔だろうか?幸い、自分のいちばん美しい顔をほとんどの人は知っている。 毎日、鏡に映している顔、そして写真をとられる時の顔。 またとても大切な人に会う時の顔……。
モデルには“オーディション顔”があるように。 言うまでもなく、オーディションには最高の顔をもっていくはずだが、その“作り方”は両方のこめかみから顔を引き上げるような意識をもつだけ。
確かに、写真をとられる時にはみんな無意識にやっている。 “こめかみリフト”とも言うべき、見えないリフトアップを。
多くの人の顔は、この意識だけのこめかみリフトによって、いちばん引きしまり、いちばん整い、そしていちばん華やかになるものなのだ。
もちろん意識だけだから、こめかみが目に見えるほどもち上がるわけではない。 でも逆にもち上がりはしないのに、意識だけで顔だちは本当に引きしまるし整うことを知ってほしいのだ。
たとえば目の輝き、肌のキメの向きが、上向きになる。 顔の向きが上を向くと言ってもいい。目も大きくなり、口もとも整う。 そしてパッと際立つオーラまでが生まれるのだ。
それはもう、目に見えるほどの違い。明らかに美人に見える。 逆を言えば、こめかみの意識を解いたとたん、顔からオーラが消えて見えるかもしれない。
意識だけで顔だちはそこまで変わるのだ。 それこそ、一瞬で10歳20歳若く見えるかもしれないほどに。
だからできるなら、こめかみを意識しながら生きてみてほしい。 できれば家にいる時から。 でないと、自分のものにならない。 とっさの時に出てこない。
いつどんな時でも、鏡がなくても、いちばん美しい顔ができるよう、表情の美容をしよう。 それはちょうど姿勢を正すようなこと。
意識してふだんから心がけないと身につかない。 だから本気で始めたい、忘れるほど当たり前になる日まで。
Vol.19 「若く見える」より今、 「素敵な人」 「雰囲気のある人」と言われたい
あなたは、どんな言葉で褒められたいのだろう?
「お綺麗ですね」はもちろん、「若く見えますね」も確かに嬉しい褒め言葉。 それだけで女は満足できる。 でも、今や“若く見えること”は、少しも難しいことではなくなった。
言うまでもなく、美容医療の進化に加え、エイジングケアコスメも目に見える若さを提供できるようになっている。 どんな年齢にも、無理のない若さを叶えられるようになっている。 となれば、「若く見える」だけでは、何だかもう物足りないと感じ始めてた人もいるのではないだろうか?
でもそれ、とても喜ばしいこと。 どう褒められたいか? という目標が、女を引き上げる。 “若く見えるだけ”なんてつまらないと思うことが、人を高みにあげるのだから。
少なくとも今、その先、その上にある“褒め言葉”をテーマにする、それが何より重要な美容になるはずで、たとえば、「素敵」と言われたい、「雰囲気がある」と言われたい……。 それはある種究極のテーマ。 なぜならば、何歳になろうと、一生涯、目指せる褒め言葉だからなのだ。
考えてみてほしい。 70代で「素敵な人」と言われること、80代で「雰囲気がある人」と言われること……それって、女冥利に尽きること。 単に、「若い」と言われるより価値がある。
なぜならそれは、知的、上品、洗練されている、そして何より内面的にも素晴らしいという意味だから。 今まで生きてきた人生もそっくり含めて素敵ということだからなのである。
ましてや、「素敵」や「雰囲気」って、本来は目に見えないのに、見えている。 まさしく“オーラ”という形になって見えているからこそ、大人の女性が持てる魅力の最高峰。
しかもそう考えると、素敵のオーラを作るのは決して難しくないことがわかってくる。 たとえばの話、髪型ひとつで「雰囲気」は作れてしまうもの。
あえて髪を染めず、美しいグレーになった髪を、見るからに手間をかけて洗練されたデザインにスタイリングをすると、もうそれだけで“素敵オーラ”が生まれる。 あるいはまた、セミロングの髪をサイドパートにして片方の肩の上だけににまとめて流す。 たったそれだけで「素敵な人」の存在感が生まれるのだ。
もっと言えば、ごくごくシンプルなワンピースに、風を受けてなびくようなロングストールを、首にひと巻きふわっと巻く。 まさにたったそれだけで、「雰囲気」という名の特別な空気が生まれる、そういうこと。
「素敵」ってなんだろう。 改めて考えるなら、そうやって髪をアシンメトリーにしたり、ストールを思い切って使いこなすセンス、それ自体にオーラが宿るのだと言ってもいい。
そもそも、そうした何気ないセンスこそ、充実した知的な人生を営んできた証。 「素敵」とは、そういうこともひっくるめた魅力だからこそ「若く見える」を超えるのだ。
もちろんくたびれた印象の人に「素敵」は生まれない。 だからこそ、若さに加えて、さらに「素敵な人」と言われること、それが理想なのである。
Vol.18 自分には着こなせないかも。贅沢すぎるかも。そういうものをこそ、 “買うべき”である
買いものには“迷い”がつきもの。 買うべき?やめておくべき?どちらにするべき?どうしよう。
見た瞬間に買うことを決めてしまえるものもある一方、ぐずぐずと最後まで決められないものも少なくないはずで、そういうものは実際に買うべきなのか、否かを考えてみたいのだ。
買いものの迷いは多岐にわたり、たとえば「自分にはちょっと派手かもしれない」とか、「それほど長く着られないかもしれない」、あるいは「品物のわりに高すぎる」、または「素材が今ひとつで、すぐヘタってしまいそう」みたいなことまで、本当にいろいろ……。
まずひとつ言えるのは“長く着られなさそう”なことに迷っているなら、それはハッキリやめるべき。
たとえ今年のトレンドもので、来年は着られないことが明らかでも、本当に自分が“着たい、持ちたい”ものなら迷いは無いはずで、「欲しい」より「長く着られない」が勝ってしまうなら買うべきじゃないのだ。 また「安かろう悪かろう」はもともと論外だけれど、ネガティブな理由で悩むものは、買ってはいけない、ということ。
でも、自分にはハードルが高いと思うもの、自分には贅沢に思えるもの。 つまり、自分にとって“背のびの買いもの”は、ちょっと無理をしても買うべきだと思うのだ。 とても単純に、買い物は損か得か、それしかない。
ただそれは金銭的な損得の話ばかりではなく、むしろ損なのは、自分を安く見せてしまう買いもの。 得なのは自分を高く見せ、なおかつ自分をさらに高めてくれる買いもの。その2つしかないと考えるべきなのだ。
とすれば、自分を背のびさせる買いものこそが自分を高く見せ、高みへ引き上げてくれる。 だから最もお得な買いものということ。
たとえば帽子。 流行のツバ広のキャプリーヌもともと帽子はハードルが高い上に、ツバ広となると大げさなのじゃないか、自分には無理じゃないのか、そう思って結局やめてしまうとしたら、ひどくもったいないこと。
帽子にチャレンジするのは、オシャレにおける新しい扉を開け放つことになり、言ってみれば自分の中のモードの偏差値が一気に上がり、不思議にいろんなチャレンジができるようになる。 周囲がハッとするほどアカ抜けていく、そのきっかけとなるのだろう。仮にそういう帽子のトレンドが長く続かなかったとしても、自分を高めるアイテムだから損はしない。
一方、自分には贅沢と思えるジュエリーやブランドもの、カシミアやファーのようなものも、そっくり自分を高い女に育ててくれるから、いずれもお得。 ましてや一生ものとなって、安ものを買うより結果リーズナブルとなり、なおさら得になるはずなのだ。
ともかく買いもので迷った時、そういう意味で損なのか得なのかという視点で決断をしてほしい。
自分という女を自ら育てていくのが“女の買いもの”。 買いものの度に思い出してほしい。 それは本当に自分を高い女に育ててくてれるだろうかと。
Vol.17 昔、好きだった人に声をかけられるか?それとも、とっさに身を隠すか?
街でばったり、〝昔好きだった人〟に出くわしたら、あなたはその時にどういう行動をとるのだろう。 想像してみてほしい。 実際に〝好きだった人〟を思い浮かべて……。
そして、とっさに身を隠してしまおうとする自分を想像した人は、聞いてほしいのだ。 そういう人もきっと、身を隠そうとする自分のイメージを意外に思うのかもしれない。 なぜそこで逃げなければいけないの?なぜ身を潜めて、会わなかったことにしようとするの?
でもそれが今の自分自身への自分の評価。 あなたの中にある〝自信〟の量をそっくり示している。
人は日頃、自分自身をどう評価しているのか、気づいていない。 気づかないふりをしていると言ってもいい。
でもたとえば〝昔好きだった人〟、あるいは、〝昔の恋人〟が不意に現れた時、いきなり〝自己評価〟したその点数が浮かびあがってきて、あなたを思いがけない行動に走らせるのだ。 たぶん〝60点以下〟だったら、やはり身を隠してしまうのだろう。
それは、古い友人とばったり出くわす〝一般的な再会〟とはやはり違う。 〝昔の恋人〟には〝変わってしまった自分〟を見せたくない。 終わり方がどんなふうであっても、相手を失望させたくないという本能が働くからだ。
もちろん10年ぶり、20年ぶり、30年ぶりかもしれない再会で、〝少しも老けていない自分〟を見せるのは不可能。 でもその年月を超え、「全然変わらないね」と言わせることはできるはず。 たとえシワがいくつか刻まれていても、印象そのものは変わらない自分を保つことは可能なのだ。
ただ〝昔の恋〟は、お互いの〝思い出〟を年数が経つほどに美化していくから、採点はより厳しくなるのだろう。 だからこそ自分に対してキラキラした思い出を持っている人の前に、「久しぶり」と言ってにこやかに出ていける自分を作っておくことは、何よりのアンチエイジングなのである。
〝月日が経つこと〟は、ただ若さを奪っていくばかりじゃない。 逆に増えていく魅力も当然あるはず。 知性や優雅さは新しい美しさを加えてくれるはず。
ましてや〝昔好きだった人〟には、今まさに充分幸せな自分の姿を見せたいというのが女心。 くすんでしまった自分は絶対に見せたくない。 できるなら、改めて相手をときめかせるくらいの自分でありたいのだ。
だからまず、心が満たされていること。 昔より幸せな顔でいるために。 表面だけ取り繕っても、〝かつての恋人〟の目はごまかせない。
その後、よい人生を送ってきたのだろうとひと目で相手に思わせるためには、やはり内側から輝くような肌も必要なのだ。 たぶんそういう輝きさえ放っていれば、その日に〝完璧な身繕い〟をしていなくても、相手に自ら「久しぶり」と声をかけられるはずなのだ。
いや、そんなことは一生起きないかもしれない。 でも、いつそういうことがあっても、逃げない自分でいるだけの準備はしておいてほしい。
Vol.16 〝佇まい〟と〝居ずまい〟にこそ、印象年齢が宿る。だから必ず〝誰かに見られている〟と思うこと
若く見える人と老けて見える人……その分かれ道となるものは、この世にたくさんあるけれど、ひとつ決定的な要素をあげるならば、やはり〝佇まい〟と〝居ずまい〟。
女はどうしても歳を重ねるほどに、〝若さ〟というものを鏡の前だけで作ろうとしがちだけれど、人の印象はあくまでも全身を引いて見た時に決まるもの。 もちろん、歩き姿に〝年齢〟がハッキリ出ることは誰もが知っているけれど、なぜかそういう意味での意識が抜け落ちてしまうのが、〝立ち姿〟であり、〝座り姿〟であると思うのだ。
たとえば、横断歩道で青信号を待つ時の立ち姿に神経が行き届いている人は少ない。 不思議なもので、人間美しく歩こうとはしても、美しく立っていようとはしない。 途端に魂が抜けてしまう。 〝佇まい〟に年齢が出てしまうのだ。
残念ながら、日本人がとても苦手なのが立食パーティでの立ち姿。 欧米人は、歴史的にも立食パーティそのものに慣れていて、人の目も意識し続けるが、日本人はついついイスや壁を探す傾向にあり、また見られているという意識を持てなかったりする。
だからまずは、立つ時はぼんやりと立つのじゃなく、美しく立つことを心がけて。 この時、いわゆる〝女子アナ〟立ちをお手本に、かかとをつけて、つま先を広げる。 まずこれだけで背すじがピンとのび、アゴが適度に引かれるが、この時どちらかのかかとを引いてズラすと、より美しく安定するはずだ。
じゃあ、座り姿はどうだろう。 カフェでひとりでお茶を飲んでいる時、どこかで見られているという意識を持っているだろうか? じつはここでも魂が抜ける。 だから多くの人が実年齢よりも老けて見えてしまう場面なのだ。
イスの形状にもよるけれど、そういう時にはなるべく浅く腰をかけて、背もたれにもなるべく背をつけないのが、エレガントな居ずまいの約束であるとも言われる。 たとえば、和服の時は帯を気にして、背中をつけたくてもつけられない。 でもそれが本来は〝よそいきの居ずまい〟なのだと心得て。
もちろん、誰も自分を見ていないかもしれない。 でも〝見られていると思うこと〟それ自体がアンチエイジング。 見られていると思っている人だけが、幾つになっても老けない〝美しい人〟であり続けるのだから。
背すじが丸くならないように、姿勢にはいつも気をつけている……多くの人はそう言うけれど、〝気をつけている〟というレベルでは1分間ともたないのが姿勢。 それが当たり前になってしまわないと。
だからこそ、立ち止まっても、どこかに座っても、人に見られていると思うこと。 当たり前にそう思えるようになるまで、〝女子アナ立ち〟と〝和服座り〟をイメージして。 そのものをなぞらなくてもいいから、何となくイメージする。そういうクセがついたら、あなたはもうきっと見た目に10歳若返っている。 佇まいとは、まさにそういうそこはかとない印象年齢を作り出すものなのだから。